2007年3月5日月曜日

雛人形

娘の雛人形は立ち雛なんで、引っ越しの多い我が家では重宝していたのですけど、引っ越しももうする事もないだろうと思うので、今年こそ実家から我が家に伝わっている木目込み人形で出来た7段飾りの雛人形を持って来ようと思ったんだけど(一応私が母から譲られているもの)、親族の不幸のゴタゴタでそれも出来ず、今年も立ち雛でした。

雛人形は早く出して早くしまわないと、お嫁に行けないと言われていると知ったのは、一人暮らしを始めてからでした。
だって、我が家では雛人形は1年中飾っているものだったからです。
あ、七段の方はちゃんと3月15日に出して4月15日を過ぎたら早々にしまっていましたけど(旧暦でやるので一ヶ月遅れです)、1年中飾っておく用の小さい簡易版の奴があるんです(簡易版と言っても仕丁がいないだけで、お内裏様おひな様、三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣はちゃんといます。ちっちゃい牛車とかもついてます)。
なんか、昔からそういう習慣だったらしく、戦前はお雛様を1年中飾っておくお座敷があったそうで、戦後大きな御屋敷を手放したあとは(空襲で全焼したらしいし、ほぼ全ての土地を小作人に任せてたから、農地改革でなくなっちゃとかで一気に没落w まぁ、江戸までは武家だったので、明治以降に手に入れた土地を小作人に耕作させてただけだからしょうがないよね。農業をしたのは、疎開先で畑作った時だけと祖母には聞いたし。直接農業してればある程度は残ってたかも知れないだろうけど、住んでる所じゃない所に持ってる土地だから、当時は残させてもらえなかったんだってさ)、ずっと7段飾りを飾るってわけにいかないので、1年中飾るのは簡易版に変わったとか……。
亡くなった祖母の話だと、祖母の子供の頃は代々のお嫁さんが輿入れ時に持って来た雛飾りがいくつもあったそうですが、戦時中の空襲などでほとんど焼失してしまったようです。
ですから、私が譲られたのは戦後のものです。
まぁ、どういう家だったかなどという話は、そこそこ祖父や伯父達から聞かされてはいたのですが、祖父母共に既に他界していますので、何故お雛様を1年中飾る家だったのかなんていういわれは既に分からないままです。
ただ、習慣として残ってしまっているというだけですね。
例えば、祖先の事を調べようと思えば過去帳とかそれなりに調べる手段もあります。
けれど、そんな習慣というか、風習に関するいわれって、調べ様がないんですよね。
まして、一番古いお雛様でも残っていればいつ頃からとか分かるんでしょうけど、それが焼失してしまったんじゃね……。
亡くなった祖母が随分昔に話してくれた時に印象に残っているのは、一番古いと言われていたお雛様のセットは、顔は茶色く変色していて、小さい頃はお雛様のお座敷に入るのは怖かったそうです。
それに、そのお雛様だけ、7段じゃなく、お内裏様とお雛様だけのセットで、それも木目込みの座り雛だったんだそうです。
だから、戦後新しく新調したお雛様も、木目込みのものにしたんだそうです。
その他のお雛様は5〜9段とバラバラだったようですが、現代風のおすべらかしのお人形はなかったそうです。
普通に、垂れ髪だったそうです。
おすべらかしが主流になったのは、現在の平成天皇がご結婚された時の美智子皇后陛下のおすべらかし以降なんだそうで、戦後新調したというお雛様も、新調した時はまだおすべらかしは主流ではなかったので、垂れ髪です。
そういえば、お雛様だけじゃなく、他の三人官女や五人囃子や両大臣、おまけにお内裏様も垂れ髪なんですよ。
男の人形は短いのでおかっぱみたいだけど。
最近のお雛様は、木目込みでも男の人形が垂れ髪のものはまずないので、面白いなぁと思っています。

1年中雛人形飾ってたけど、普通に結婚出来たんで、あんまり関係ないのかな?

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