2011年5月10日火曜日

分からないを前提にと言っても、どこまで分からないの?

先日、創作系の仕事をしている友人と喋ってた時に、「情婦」という言葉を使ったら、読んでる人に通じなかったという話を聞きました。
勿論、「恋人」でも「愛人」でもなく「情婦」を使うニュアンスも含めたイメージというものも持っていない、どころか、言葉の意味そのものも分からなかったらしい。
いや、「字面見りゃ、ある程度想像できるだろう」と突っ込みたくなるんですが、う〜む。
それが、まぁ、別に、底辺DQNなら、本も読まないだろうししょうがないよねで済む話しなんでしょうけど、そういう訳でもないから恐ろしい。
今回は「情婦」という言葉ではありましたが、以前からちょくちょく、こちらが常識的に使っている言葉が通じない、それも、既に廃れている流行語ではなく、今現在も存在している昔から使われてきて、今でも普通に文章として至る所で見るものですら通じない事があるというのは、周囲からはよく聞く話ですし、自分でも経験しているのですが、これってなんなんでしょう?
興味ないものは、徹底して目に入ってないってことなんですかねぇ?
というか普通に文章読んでてわからない言葉が出て来たら、その時どうするんだろう?
調べる手段なんてそれこそいくらでもある訳で、今なら携帯電話で検索すれば一発だし、電子辞書持ち歩いてる学生も多いし、なんでスルーできるんだろう?
まぁ、それでも、趣味で文章を書いてるとはいえ、まぎれもなく趣味でしかない私は、そう困る事もありません。
分からない人は読まなくて結構と言っちゃえば良いだけですしね(最近は新作公開してないから情勢が掴めないというのもありますが)。
でも、仕事として創作をしている人達は、そういう分からない人にも買って読んでもらったりせねば喰っていけない訳で、「分かってない」ってことを前提に色々書かなくちゃいけないのは大変だろうなぁと思う訳です。

簡単に「ゆとり教育の弊害」なんて言ってしまっても何の意味もないんですよね。
ゆとり教育じゃなかった世代だったし、ゆとり教育が導入される前の子供達に塾などで勉強を教えていたけど、当時の小中学生でも知っていたような事を、大人になった人達が知らないって事例を沢山見過ぎてて、単なる教育システムの問題だけじゃない気がする訳です。
だって、昔の小学生が知ってるような事を知らないか知ってるかなんて、教育システムに依存する問題じゃないでしょ?
むしろ、社会システムとして、知らなくてもスルーできてしまう状況と、知らないという人に対して諌めるでもなく諦めてしまう状況が問題な気がするんですよね。
日本人はどんどん莫迦になるというのを、笑って聞き流せない状況があるなぁと思う事はしばしばですが、それは私たち大人の側も悪いのかなぁ?
でも、私たちだって子供だった時分、大人から与えられた牌はそれほど多かった訳じゃないんだよね。
今思い返してみても、私を形作っている知識というのは、学校の教育の中で学んだものが知識ベースとしてあったとしても、その何倍もの知識をそれ以外のところから吸収していた訳だし。
「知識ベースが10の人の10倍は100だけど、5の人の10倍は50なんだよ」と友人には言われましたが、一理あると思う反面、そんな柔軟性のないものなのか?と思う気持ちもあり、答えが出ません。
知らない人は、自分が知らないという事が分からないけど、知っている人は知らない人が分かる訳で、なんと言うか、それが1対1の個人の間で済む事なら、別段大きな話しにはならないとは思うんですが、世代間のギャップと結びついちゃうと怖いなと思います。
戦中派、戦後派、団塊、バブル、氷河期世代、団塊ジュニア、ゆとりなどと、レベル貼りはみんな得意だと思いますが、本当にそれだけでその世代の色が見える訳でもないし、レッテル貼りしている人からは、レッテル貼りされてる世代の真実は分からないんじゃないかなと思ったりもします。
難しいですね。


とりあえず趣味で創作している分には、「分からない事前提」で書かなくても良いだろうと思って、好きに書いていこうとは思っていますが。

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