2007年4月24日火曜日

明日で

明日でJR宝塚線の脱線事故から2年ですね。
友人がマンション住民で、その後のPTSDで苦しんでいたのを見ているだけに、複雑な気持ちがあります。

夕べNHKで震災や脱線事故のトリアージについての番組をしていました。
震災があったからこその、脱線事故でのトリアージという番組の作りだったように思います。
そして、トリアージをする事の難しさと、それをどう受け入れていくのかという事を、視聴者に問いかけているように思いました。
阪神大震災当時、私はまだ東京に住んでいて、自分の大切な街の変わり果てた姿に、愕然としました。
そして、その大切な街に大変なことが起きた時に、安全な土地でぬくぬくとしている自分に対する、いい知れぬ罪悪感のようなものを感じた事も忘れられません。
別に、今考えると罪悪感を持つような事ではないのですけど、当時は何とも言えない気持ちがしたものです。
そして、それからすぐ、オウムの地下鉄サリン事件があり、トリアージというものが一気に注目されたように覚えています。
地下鉄サリン事件の時は、それこそ東京在住だったし、まだ小さい子供もいたしで、不安な思いを持ったまま、テレビやネットに釘付けになっていました。
自分もおそらく、トリアージの黒赤黄緑のタッグの意味をあの時知ったのではなかったでしょうか?
本当に、瞬時の判断が求められるトリアージで、それは本当に正しい判断なのかどうか……。
難しいですよね。
第三者はなんとでも言えるのですが、遺族というカテゴリーに属する人にとっては、受け入れられるのかどうなのかというのは、生死に直結するだけに、後々まで引きずってしまう可能性があります。
うちの娘は病気の後遺症で障害を負った訳ですが、最初に発病した時救急車を呼んで、3次の救命救急センターに運ばれました。
けど、通常なら2次の救急病院に運ばれるような状態だったようで、最初はそちらで受け入れ病院を探していたみたいでした。
ただ、どうも2次にしてはおかしい、3次に運んだ方がいいのでは?と判断してくれた救命救急士さんがいらして、3次に無理矢理ねじ込んでくれたみたいでした。
私も娘の事で精一杯で、それほどやり取りを覚えている訳ではないのですが、かなり一生懸命受け入れ要請をしてくれていたのだけは、印象に残っています。
でも、結局3次に運ばれたからすぐに検査やMRIを受ける事ができて生き延びる事ができました。
というか、3次に運ばれて1時間位して呼ばれた時に、受け入れてもらったときの医師の表情とは全く違う、沈痛な面持ちで、翌朝までもつ可能性は10%以下、助かっても寝たきりの可能性がかなり高いと言われましたが、これがもし2次だったら、確実に亡くなっていたんだろうなぁと、簡単に想像できてこわいです。
当時、似たような病気でやはり娘と同じような状態になったお子さんがいて、そのお子さんは残念な事に2次に運ばれたそうで、様子を見て明日CTとりましょうと言われているうちに、あれよあれよという間に状態が悪化して亡くなられたのだそうです。
本当に、瞬時の判断で人生というのは左右されるのだなぁと……。
医療は万能ではありませんし、どれほど尽くしても失われていく命はあります。
それでも、助かる命もある。
その線引きが、画一ではない以上、それを受け取らねばならない側は、いろいろな反応を示すし、そうなるのが自然なんだろうなと、番組を見てつくづく思いました。

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