2007年7月14日土曜日

幸せなお産とは思えない。

とんでもない話しを読んでしまった。
NATROMの日記:「信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産」

こちらのblogに「幸せなお産(web魚拓)」というコラムが紹介されているのだが、そのコラムの内容がとんでもなかったのだ。
今は当該記事は消されているらしいのでWeb魚拓を見ていただきたいのだが、とりあえず「幸せなお産」に書かれている事の概略をまとめてみる。
関西で有機野菜・無添加の素材をつかったオーガニック料理のデリバリー業をやっているとおぼしき夫婦に子供が授かった。
自然分娩を希望するが、近所にあるマクロビオティックの助産院では逆子だったので、法律上助産院で出産不可となり、産院を紹介される。
産院で胎児の頭の大きさと、産婦の骨盤の大きさの関係で、経膣分娩は無理と判断され、帝王切開を勧められる。
お灸や体操など試みるも逆子は治らず、帝王切開の日程が決まる。
しかし、納得できない夫婦(特に夫?)は、自然分娩推奨の、ある意味とても有名な愛知県岡崎市の吉村医院に駆け込む。
吉村医師は、「産道もめちゃめちゃやわらかい・・・バリバリの安産です。」と言って、お産を引き受ける。
自然分娩にこだわる吉村医院では、当然陣痛促進剤など使わない為、結局産婦は、予定日を1ヶ月以上遅れて陣痛開始。
この時点で逆子は治っていない。
逆子で胎児の頭の大きさと骨盤のサイズが合っていないのだから、当然出産できる訳もなく、3日間もの間、産婦は陣痛で苦しんだ。
吉村先生の苦渋の選択で、転院決定
転院先の病院で、帝王切開により出産。
翌日、夫婦の希望で新生児と産婦は吉村医院へ転院。
2日後、赤ちゃん死亡。

ネタだと思いたい。
そして、赤ちゃんが亡くなった後、自分たちの選択を後悔しているのなら、ある意味啓発になるのかも知れない。
しかし、この「幸せなお産」の書き手である父親は、帝王切開で助けてくれた医師達を貶め、診断ミスをした吉村医師を褒め讃えるという、何とも理解しがたい事を書いている。
衝撃の内容なので、出来ればweb魚拓を読んで、自身で判断していただきたい。

実は、このコラムを読む前から、私は吉村医院を知っていた。
なぜなら、愛知に住んでいた時に私は丁度妊娠していて、その時に、ある意味、とても有名な病院だったので知ったのだ。
つまり、「トンデモ思想の病院」ってことで……。
実は私が通っていた病院が、この吉村医院の緊急搬送先の提携をしている3病院のうちの一つだった。
吉村医院から緊急搬送してくる産婦、胎児、新生児は、生死に関わる緊急事態ばかりだから、自分の出産時にそれらがかち合ったらとんでもない事になると、妊産婦の間で危惧されていた。
はっきり言って、この吉村医院は、宗教的範疇の問題として取り扱うしかないような病院だと、いわれていたのだ。
エホバの信者が、信仰の為に我が子への輸血を拒否するのと同じような問題。
本人達と吉村医院にとってはいいかも知れないけど、周りには超迷惑。
だから、ネタだと思いたいのだが、吉村医院ならあり得るんじゃないかと思える。
ちなみに、コラムに書かれた搬送先の病院は、どうやら私が第3子を生んだ病院らしい。
私が出産した時、とても誠実な医師達で、本当に感謝している。
産科担当の医師達だけは、他の科の医師とは違い、敷地内にある社宅に住まなくてはならなかった程、地域の周産期医療の拠点としてがんばっておられた。
だからこそ、あんなトンデモな吉村医院からの搬送でも受け入れているのだろう。
本当に、お気の毒だ。

自然分娩結構。
人はそれぞれ理想のお産があるでしょう。
それがたとえ命と引き換えであっても、本人達が満足ならそれでいいでしょう。
しかし、なら、その、吉村医院とそこに依存する人々の間だけで完結してくれと思う。

自然分娩と言ったところで、最終的には、ハイリスクの産婦は、貴重な最新の周産期医療へ預けてしまうのだ。
なのに、その周産期医療で必死に命を救った医師は貶められ、診断ミスをした吉村医師は崇拝される。
安全なお産をバックアップしているのは、吉村医師や、そこに依存する人々から否定されている最新医療だというのに。

ところで、「NATROMの日記」さんの当該記事のコメント欄に、当の父親がコメントを寄せている。
それを読んで、私はいろいろ思うところはあった訳だが、一番強く思ったのは、結局きれいごとを言っているこの理想論者は、直接命を危機に晒した訳でもなんでもない、単なる傍観者である男だからこそ言える戯言だという事だ。
産婦である母親が言っているのであれば、「やれやれ」と嘆息はするが、自らの命を危機に晒してでもそれを貫ける信念、いや、信仰なのだから……と思うかも知れない(納得はしないが)。
だが、父親にいくら吉村医師の自然分娩思想はすばらしいと説かれても、全くの上っ面だ。
安全なところにいて、妻と子供の命を危険に晒して主張されたところで、何を言っているのかという事だ。
自分の信念の実現の方が、子供の命より大切な人間としか評せないではないか。
それも、最終的に最新医療に頼るのなら、最初から頼っておけよ、そうすれば命の危機などという事になる可能性は、ほとんどなかったに等しいのだからと思ってしまう。

他者の命を大切に出来ない人間が、自然食品が作る生命の神秘を語ったところで、説得力などないと、私は思う。

追記:
現在「NATROMの日記」さんのコメント欄では、吉村医院側の助産士らしき人がコメントをつけて、おかしな事になってしまっている。
自分たちの信念は結構だが、助けてもらった先の医師達も含めて、自分たちと同調しない人たちに噛み付くのはいかがなものか。
また、本当に私が第3子を生んだ病院であれば、その病院はともかく、その病院を抱えている日本一の某企業の力を甘く見ると、ひどい事になるんじゃないだろうか?
まぁ、知った事ではないが。

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