2009年4月22日水曜日

新学期になって

ようやく新しい生活リズムにも慣れてきた感じです。
もうすぐ一番下の子の給食も始まるし、少し余裕ができるようになるといいな。

しかし、上の息子が運動系の部活に入ったのですけど、今の中学って19時くらいまで部活するのね。
それとも、昔からこんなもの?
私の地元では、中学校の下校時刻は夏期は17時半で冬期は17時で、運動系だろうが、文化系だろうが、下校時刻には校門を出ていなくてはいけませんでした。
それ以降残ってたら、罰があったんだよな〜。
運動系も、文化系も、試合前とか、展覧会や発表会前とかには、1時間延長の届け出を出していましたが、普段は下校時刻まで。
だからといって、うちの中学だけが特別ではなく、地元の公立中学はどこでもそんなものでした。
それに、うちの中学はある部が全国大会で優勝するくらい強かったのですが、その部も待遇は同じでした。
高校は、公立進学校だったからか、当然17時や17時半の下校時刻までで、試合前の延長があった程度。
私学は遅くまでやってたみたいですけど、公立だったからか、進学校だったからか……。
でも、やはり特定の部が、インターハイで優勝したりしてたから、その時間でも良かったのかなぁ?
で、そんな感じで思っていたので、息子が19時過ぎまで帰って来なかった最初の日は、一体どうしたんだろうってかなり心配しました。
塾とか通っている子は、途中で帰ってもいいらしいですけど、何も中学で19時までやらなくても……と思うのはおかしいのかな?


部活と言えば、昔から、障害者福祉に興味があったことから、福祉全般に興味あると思われて、同和問題を研究するクラブに誘われて入っていました。
そこで学んだのは、同和差別だったのですが、興味があったら何でも調べる癖のある私は同和問題を結構調べまして、クラブでは絶対に教えてもらえなかった同和利権(逆差別って言ってましたけど)という現実を知ってしまい、かなり辟易したものでした。
卒業したら同和問題とは一切かかわり合いになりたくないなと考えたほどだから、かなりの辟易感だったんだろうな。
私を誘った友人は、大きな地主の跡取りでしたが、かつての小作人の関係で同和問題を代々学んでいるという人でした。
私の先祖は、元々同和というものに無頓着な土地の士族階級なので、曾祖父母の代くらいまでは同和というものを良く知らなかったようです。
祖父母の代では、もう武士階級というものが無くなっていたので、土地持ちになって小作人を使っていた時代になるのですが、祖父は基本的に政府の仕事をして転勤のある人でしたから所有していた土地は現地のとりまとめをやっている人間に任せていたようです(その関係で農地改革で土地をほとんど失う訳ですが)。
ですから友人の家のように、同和問題には深く関わることはなかったようですね(仕事の関係から、戦後在日の関係ではよく愚痴をこぼしていたようですし、私も実際に聞いたことがあります)。
祖父母の仕事の都合で地方に移り住んでそこで教育を受けた父とか母の代になると、同和問題は身近なものになるようですが、まぁ、建前と本音の世代なので、基本的には忌避という感じでしょうか?
結局私の代になっても、調べたことで距離を置こうと考えているのですから、同じなんですけど。
子供達の世代にはどうなっているんだろうな。

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